高校不登校と2年間の休学を経てプロの役者になれた理由【シリーズ「不登校、その後の人生」】

#不登校#行き渋り

高校不登校と休学の時期、孤独だった谷川明子さんを救ったのは、冷たい色眼鏡を一切かけずに内面を認めてくれた「歌舞伎の世界」でした。劇場で出会うファン仲間や役者との交流を生きがいに、やがて自身もプロの役者へと進んでいくことになります。過酷な受験の挫折を乗り越え、飛び込んだ舞台の世界でようやく「ありのままの私」になれた理由とは。

 

谷川明子さん

学校の外で私を救った歌舞伎

私が不登校だった当時は、現在のような不登校のサポート団体は、官民を問わずとても少なかったと思います。実際に、私も親も、そうした団体との繋がりはありませんでした。

そんな孤立無援の中で、私にとって唯一の救いとなっていたのは、大好きな歌舞伎の世界でした。

テレビの画面越しに憧れていた坂東玉三郎さんや市川右近さん(現在・三代目 市川右團次さん)といった歌舞伎役者の方々の存在や、彼らがインタビューで語る言葉の数々に、日々どれほど励まされていたかわかりません。

役者さんだけではなく、歌舞伎を熱心に応援しているファンの大人たちも、私にとって大切な仲間・居場所でした。

彼らは、私が普段学校に行っているか行ってないか、なんていうことはこれっぽっちも気にしませんでした。

それよりも、私がどれだけ歌舞伎のことを深く知っているか、どれだけ熱い情熱を持っているか、という私の内面をストレートに認めて、対等に接してくれました。

「学校に行っていない人」という冷たい色眼鏡を一切かけずに私のことを見てくれる。そういう温かい人たちに、私はおかげさまでたくさん恵まれていました。

学校に通っていたときでも、歌舞伎や長唄といったマニアックな話題で盛り上がれる友達は、なかなか見つかりませんでした。

だからこそ、劇場で出会うファンの方々や役者さんの存在は、唯一の「息ができる場所」だったのです。

役者との交流が生きがい

当時の歌舞伎ファンたちは、劇場へ足を運ぶうちにお互いに顔馴染みになり、そこから自然と繋がっていくようなことがありました。さらに、正式な後援会を通じて繋がりが深まることもありました。

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