不登校による介護休業は「前例がない」で取得できず

#不登校#行き渋り

子どもの不登校への対応で介護休業を利用したいと思っても、制度を利用できないケースがあります。

今回ご紹介するのは、小学生のお子さんの不登校をきっかけに介護休業を希望したものの、対象外と判断されて取得を断念した新井真理さん(仮名)です。

新井さんは仕事と子育ての両立に限界を迎え、自身も抑うつによる傷病休職を経験。その経験から感じた制度の課題をお届けします。

  • 子どもとの関係:母親
  • 当時の就業形態:正規雇用
  • 当時の勤務先:民間企業(外資系)
  • 当時の勤務先規模:1,000人以上

編集

不登校オンライン編集部

介護休業は会社規定で利用できず

子どもは小学2年生の終盤から「学校に行きたくない」と言い出し、無理に行かせようとすると物を壊したり暴れたりする激しいパニックを起こすようになりました。

スクールカウンセラーの勧めでクリニックを受診し、小3の初め頃にASD(自閉スペクトラム症)の診断が出ました。

当時の私は、外資系企業でソフトウェアエンジニアとして勤務していました。

子どもから目を離せない状況が続いたため、「介護休業の対象になるのではないか」と自ら直属の上司や人事担当者へ相談しました。

しかし、会社として前例がなかったことや、当時の会社規定の解釈から「対象外」と判断され、取得を断念することになりました。

今振り返っても、本当は適用対象だったのでは…と思うのですが、当時は知識も前例もなく、それ以上交渉することができませんでした。

そのため、年に5日間の「子の看護休暇」をはじめ、多目的休暇や有給休暇などをすべて組み合わせて、約1か月間の休みをなんとか確保してしのぎました。

休職がもたらした心の余裕

1か月の休みを終えて復職する際、人事から代替案として提案されたのが、正社員のまま勤務形態を変える「ショートワーク正社員制度」でした。

そこで、「週3日・1日8時間勤務」を選択し、在宅勤務を交えながら子どもの見守りを続けることにしました。

しかし、近所に住む実家の両親の不登校に対する無理解やプレッシャー、仕事のプロジェクトの多忙さ、職場での人間関係のストレスなどが重なっていきました。

家庭と仕事の両方が限界を迎えて、復職から7か月後に、私自身が抑うつ状態となり、約1年間の傷病休職に入ることになりました。

今振り返ると、最初から介護休業が取得できて、まとまった休みを取れていれば、抑うつ状態にまで追い詰められることはなかったのではないかと思います。

ただ結果としては、傷病休職で仕事の責任から離れたことで、心と頭にスペースがやっと生まれました。

本を読んだり、不登校の親子の居場所を訪ねたりする中で、「学校は、行きたければ行けばいい」と自然と思えるようになっていきました。

私自身が見守る余裕を持てたことで、子どもも落ち着きを取り戻しました。以前は2〜3日に1回起きていた激しい大暴れも、2〜3か月に1回程度まで減っていきました。

休職中には、学校の地域コーディネーターが、魚の好きな子どもに「別室でメダカを飼うので、設置を手伝ってほしい」と声をかけてくれました。それをきっかけに、子どもは週2日の別室登校を始めました。

不登校の介護休業は知られていない

復職のタイミングではエンジニア職から事務職へ職種変更を行いました。出社スタイルを取り入れながら、子どもとの適度な距離感を保って働き続けています。

子どもは現在、水族館で働く目標のため、前向きに過ごしています。

私自身は、不登校の親の居場所づくりに携わるようになりました。

不登校の当事者と接する中で感じるのは、不登校における介護休業の可能性や自治体の支援制度が「知られていない」という実態です。

本当に追い詰められている時は自分で調べる気力すら湧きません。不登校による離職を防ぎ、親も子も冷静になれる時間を作るためにも、介護休業の適用や柔軟な働き方の普及、事前のアナウンスなどが必要だと、切実に感じています。

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